一人でできないのに、数人集まるとやってしまう、日本人の悪いところ(甲子園球場より)
Last Updated on 2025年8月11日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます
朝一血圧(125/91/68)
※ 報道番組等で名前が出ていますので、そのまま高校名は記載しています。
悪ガキ集団に、それを知った大人の自己保身と利己心からくる隠蔽心理。
目 次

大人の自己保身
甲子園で目にした「握手拒否」という光景
私は、スポーツは自分で楽しむものという主義で、観戦にはあまり興味がありません。
しかし昨日、ネットの動画で思わず目が釘付けになる光景を見てしまいました。
高校野球の甲子園で、北海道の旭川志峯高等学校が広島の広陵高校に逆転負けを喫し、最後の挨拶の時に数名の選手が握手を拒否してベンチへ、というのです。
思わず、ネットでその部分の動画を見ました。
えっ~、と驚きましたよ。
あの礼儀正しい、甲子園の土を持って帰る高校野球で、正々堂々と戦い、勝っても負けても相手をたたえる。
あの清々しい精神は、今の高校生には失われてしまったのか、しかもわがふるさとの旭川の高校が?
どういうことだ。
私は高校まで旭川にいました。
少し寂しい気持ちになったのです。
気になって、この
「旭川志峯」
という高校を調べてみました。
私が旭川にいた頃にはない名前、新設の高校か?
どうやら、昔の
「旭川日本大学高等学校」
通称「旭日(きょくじつ)」が校名を変更したとのこと。
なるほど、旭日か、ならあるか・・・(もちろん、冗談です)
確かに野球部は昔から強くて、よく甲子園に出ていた記憶があります。
しかし、問題の核心は別の場所にあった
当初、私はこの「握手ボイコット」が大きな問題になっているのだと思っていました。
しかし、さらに調べていくと、世間の関心は別のところにあると知り、二度驚かされることになります。
問題の核心は、対戦相手であった広島県代表の
「広陵高校」
側にあったのです。
高校野球に疎い私ですら、その名はよく知っています。
その名門校の監督、部長、生徒、そして校長まで、学校総ぐるみが今、世間から厳しい批判を浴びているというのです。
背景には、今年の初め発生の部内でのいじめ・暴力や不適切な指導の問題があったと報じられていました。
集団心理に潜む「見えない何か」の正体
しかし、この事件の表面の裏には、もっと深く、そして重い現実があります。
一人ひとりは決して悪くない。
みんな善意を持った「いい子」たち。
でも、数人が集まると、まるで別の何かが心を支配し、残酷な暴力やいじめが生まれてしまう。
しかも、その暴力を止めようとしても、なぜか誰も止められない、見えない「何か」に巻き込まれてしまうのです。
これは、私たちの国の歴史の中に根づく闇であり、決して無視できない真実です。
そして、被害を受けた人たちは、その痛みを一生忘れません。
私も今でも忘れられない体験が存在しています。(絶対忘れません)
恨みや憎しみではない。
でも、どんなに素晴らしい組織や伝統であっても、暴力そのものを許すことはできません。
暴力は、人の尊厳を根底から壊し、被害者に心に深い傷を残すからです。
大きな理想の前に、まず目の前の暴力と向き合う勇気
だから私は強く言いたい。
核廃絶だの、8・15戦争反対だの、声高に叫ぶ前に、一人ひとりがまず目を向けるべきことがある。
それは、自分の目の前にある「暴力」と向き合い、決してそれを見逃さず、立ち向かうこと。
身近な小さな暴力を許さず、
「それは違う」
と言える勇気を持つこと。
たとえそれが小さな声でも、集団の同調圧力に流されずに、自分の心の声に正直であることです。
シニア世代だからこそ伝えたい、変わらぬ真実
私たちシニアは、人生で多くの苦難を経験し、何度も挫折を味わいました。
それでも「人に暴力はいけない」というシンプルだけど決して色褪せない真実を胸に、生きてきました。
今の時代、SNSやネットの世界は一瞬で情報が広がり、批判や誹謗中傷が簡単に飛び交います、言葉の暴力ともいえます。
そんな時代だからこそ、私たちは一人ひとりが自分の心の中に
「暴力にNO」
と叫び続けなければなりません。
技術が進み、AIが生活を支える未来が来ても、人の心の「温かさ」や「思いやり」は決して機械に代わられません。
未来へ繋ぐ、私たちの切なる願い
だからこそ、
どんなに時代が変わろうとも、
どんなに社会が複雑になろうとも、
「暴力はいけない」
この言葉を忘れず、日々の生活の中で実践し、未来の子どもたちに伝え続けていきたい。
甲子園の小さな出来事は、実は私たち日本人の一人ひとりの心の問題を映し出しています。
だからこそ、シニアとしての私たちは声をあげ、過去の教訓を未来に繋ぎ、優しくも強い社会を共に築いていきたい。
あなたの隣にいる誰かが苦しんでいるとき、どうか目をそらさず、手を差し伸べてほしい。
それこそが、核廃絶や戦争反対を叫ぶよりも、まず大切な一歩なのです。
これが、私が未来へ伝えたい、切なる願いです。





