「ありすぎると困る問題――アリストテレス的シニア論」
Last Updated on 2025年12月17日 by 管理者 Nikifarm
おはおうございます、室温17.4℃
今朝は比較的暖かい日である、今年もいよいよ半月となりましたね。
目 次
足るを知る
■ 年金が足りない、という声ばかり
年金が足りない、足りない。
そんな話は、もう聞き飽きるほど聞いてきた。
老後は不安だ。

年金だけでは暮らせない。
将来が心配で、夜も眠れない――。
そう言われ続けてきた。
■ ところが、現実は少し違った
いざ自分がその年齢になってみると、
毎月きちんと入ってくるものがある。
公的なものもあれば、
若い頃に「念のため」と積み立てていたものもある。
合計すると、
生活に困る気配は、どうやらない。
正直に言えば――
使い道が思い浮かばない。
■ 日々の暮らしは、意外と地味だ
私の生活は、拍子抜けするほど質素だ。
朝は、トーストにバナナと豆乳、梅干し2個。
畑で育てた野菜を中心にしたサラダと野菜炒め。
昼も夜も、基本は自分で育てた野菜が主役になる。

高級なものは食べてないが、
「今日は何を食べようか」と悩むこともない。
■ ありすぎると、困る
贅沢をしたいわけではない。
欲しい物も、もうほとんどない。
時間と体力は、有限だ。
そして、ふと思う。
ありすぎると、困る。
……これを私は、
**「老後のアリストテレス問題」**と呼んでいる。
■ アリストテレスはこう言った
アリストテレスは言った。
人がもつべき「勇気」という「徳」は
多すぎると「無謀」となり、少なすぎると「臆病」になる、
だから、ちょうどの間に位置するといいのだ。
人は、多すぎても、少なすぎても、
不自由になる。
大切なのは、
その真ん中。
「中庸(ちゅうよう)」だと。
老後のお金も、まさにそれだ。
■ 足りない不安、足りすぎる迷い
足りなければ、不安になる。
だが、足りすぎても、
今度は「使い方」に迷う。

使わなくても困らない。
かといって、使う理由も見つからない。
ただ、毎月、静かに振り込まれる。
年金たちが、文句も言わず、勝手に働き続けてくれている。
■ 体は、勝手には動かなくなる
週の半ばには、軽くジョギングをする。
週末は、テニスをする。
来年2月には、気が向いたので、5キロのマラソン大会にも出てみようと思っている。
記録を狙っているわけではない。
勝ちたいわけでもない。
人生をやめない理由を作っているだけだ。
お金と違い、体はだまっているとしぼんでいく。
■ 結局、最後に残るのは何か
ここまで来て、ようやく答えが見えてきた。
健康だ。
お金があっても、体が動かなければ、使えない。
旅行も、食事も、人付き合いも、すべては体あってこそだ。
■ アリストテレスの「中庸」は、体の話だった
食べすぎず、動かなさすぎず、無理もしすぎない。
結局のところ、老後の「使い道」とは――
医者にかからず、病気にならない体を、
どうやって保つか、ということなのかもしれない。
アリストテレスの言う
「ちょうどいいところ」は、
「徳」の話ではなく、体の話だったのだ。
■ 人と関わると、体も動く
行政書士として、成年後見のボランティアに関わっている。
仕事というより、人と話し、人の生活を考える時間だ。
また、畑で採れた野菜は、野菜会員の人たちに届けている。
スイカを運び、少し世間話をして帰る。
それだけのことだが、気づけば体も心も動いている。
■ 老後とは、お金より健康の問題
食べすぎず、動かなさすぎず、無理もしすぎない。
年金はおそらく足りている。
だからこそ、
最後に残る課題は一つ。
元気でいられるかどうか。
どうやら老後とは、お金の問題を心配するより
健康の問題だったらしい。
私はこの結論に早く気が付いてよかったと思っている。
“「ありすぎると困る問題――アリストテレス的シニア論」” に対して2件のコメントがあります。
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