北海道釧路湿原の太陽光発電、未来から見た正義と誤算、今が重要な時だ【№1】
Last Updated on 2025年8月30日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます
朝一血圧(123/88/59)、畑薬(108/80/75)。
本当に北海道の釧路湿原に太陽光発電パネルは今必要ですか、20年後の未来はどう処分するのでしょう?
目 次

過去・現在・未来
みんな、想像してごらん。
2044年、釧路湿原。
おじいちゃんが昔、写真で見せてくれた豊かなヨシ原は、今や見渡す限りの銀色のソーラーパネルに覆われている。
まるで巨大なコンピューターの基盤のようだ。
鳥の声は減り、風がパネルの隙間を吹き抜ける、乾いた音が響くばかり。
かつて湿原に響いたシマフクロウの夜鳴きは、今はどこにも聞こえない。
彼らは、一体どこへ行ったのだろうか。
当時の僕たちはこう言ったんだ。
「国のFIT制度に乗れば、自然なんて何もしなくても利益が上がる!」
正しかったのか?
それとも間違っていたのか?
国の制度の意図は正しいこと
国は脱炭素を進めたかった。
再生可能エネルギーを増やして、未来の地球を守ろうとした。
FIT制度は、事業者が
「安定収益を得られるようにする」
という賢い仕組みだった。
これは正しい。
理念は未来志向だ。
現場で起きていることは間違いの兆し
しかし、現実はどうだっただろうか。
湿原に巨大パネルが並び、野生動物の住処を奪う。
銀色のパネルの隙間から、錆びついたソーラーパネル設置業者のヘルメットが転がっていた。
その横には、なぜか当時流行していたらしい、光るアヒルのフロートが泥にまみれてひっくり返っている。
きっと、誰かが仕事の合間に持ってきたのだろう。
そのアヒルの目は、何も語らず空を見上げていた。
20年後の撤去費用は積み立てられず、放置されるリスク。
まだ、いまは現実に20年後のことは語られない。
見かけだけの利益が優先され、自然破壊が進む。
これは間違い。
「短期利益優先のまやかし商売」
だったのではないか。
20年後のツケは未来からの警告
パネルは寿命を迎え、湿原はパネルと廃材の海に。
見た目の利益は消えて、自然や地域が代償を払う。
「正しい制度」のはずが、副作用が大きすぎた。
湿原の真ん中、かつてタンチョウが舞った場所に、錆びた看板が立っていた。
『FIT制度、おかげさまで黒字達成!未来へ、クリーンエネルギー!』その文面は、太陽光で焼けただれ、今や読み取る者もいない。
孫よ、僕たちはここで考えなければならない
「未来から見て、何が正しくて、何が間違っていたのか?」
湿原にパネルを置いて儲かるのは今だけ。
でも20年後、その未来は、自然を守れなかったツケは誰が払うのか。
正しいのは国の理念だったのか?
それとも間違っていたのは、そこに群がったその場しのぎの商売だったのか?
私たちは本当に
「脱炭素」
を望んでいたのか?
それとも、目の前の「利益」に目がくらんでしまっただけなのか?
今の日本は、本当に電力が足りないのだろうか?
もしそうでないなら、誰のためのソーラーパネルだったのだろう。
誰の利益のために、この尊い自然が犠牲になったのだろうか?
この問いかけは、私たち自身の未来への責任を問うているようだ。





