今年の17回忌は、お墓参りだけにしておこう、そう思うと心が楽になった私
Last Updated on 2025年9月7日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます
朝一血圧(120/84/59)、ジョグ薬(89/63/101)。
供養とは、自分への区切りである。
「妻の17回忌法要」は、今回からお坊さんを呼んで、式場を借りてまでしなくてもいいかなと考えている。
目 次

自分への法要
時代の流れと供養の形~17回忌、あなたならどうする?
「お父さん、また悩んでるの?もう17回忌だよ。
私のこと、そんなに心配しなくてもいいのに。」
突然、52歳で亡くなった妻の恭子が目の前に現れた。
いつもの白いワンピースを着て、にこやかに微笑んでいる。
「いや、恭子。心配してるわけじゃないんだ。
ただ、法要ってどこまでやるのが普通なんだろうって。
今年は17回忌だし、お墓参りは行くけど、式場を借りてお坊さんを呼んでまでお経をあげてもらうのは、もういいかなって思ってさ。」
私がそう言うと、恭子はクスッと笑った。
「ふふ、お父さんらしいね。
でも、それでいいんじゃない?
大切なのは、お父さんが私のことを想う気持ちなんだから。」
そう言えば、恭子は甘いものが大好きだったな。
当時は糖尿病で大好きなくずもちも控えていたけれど、今ならいくら食べても大丈夫。
きっと笑って許してくれるだろう。
時代とともに変わる供養の形
昔は親族が集まり、
「何回忌まではやるべき」
という明確な基準があり、親族総出で盛大な法要を営むのが一般的でした。
だが今は核家族時代、親族も遠方で来ることもない、逆に迷惑だ。
しかし、さらに高齢化・核家族社会となった現代では、その形も大きく変化している。
「そうだよな、でも、
『17回忌までは真ん中だからやるべき』
って言う人もいるんだ。
それで、ちょっとモヤモヤしちゃってさ。」
「法要する人の気持ちの問題だよ、お父さん。
それに、海外ではもっと自由な供養の形がたくさんあるのを知ってる?」
世界に目を向けてみれば
例えば、アメリカでは故人の生前の趣味や人柄を反映した
「セレブレーション・オブ・ライフ(人生の祝福)」
と呼ばれる追悼式が人気です。
故人が好きだった音楽を流したり、思い出の写真を飾ったり、参列者と故人の思い出を語り合ったりと、明るく故人を偲ぶのが特徴です。
また、ヨーロッパでは自宅で質素に故人を偲ぶことも少なくありません。
日本のように、決まった法要の形式にこだわることは少ないようです。
「へぇ、セレブレーション・オブ・ライフか。
楽しそうだな。
俺も、恭子が好きだったB’zの曲を1日流して、昔のアルバムを観ながらみんなで思い出話をするのもいいかもしれないな。」
「いいじゃない!それに、日本のお坊さん事情も、昔とは少し変わってきてるのよ。」
変化する日本のお坊さん事情
牛久浄苑では、管理事務所に大きな仏壇のセレモニー室がある。
自由に使えて各宗教に合わせたお坊さんも手配できるサービスもある。
また、お坊さんにお墓の前でお参りすることも依頼できる。
それに、月日を指定して花を飾ってくれたり、さらにそれを片づけてくれる手配もしてくれる。
至れり尽くせりですが、でもなんか私の気持ちと違う気がするんだよね。
「そうよ。それに、お父さんのように
『お墓参りはするけど、法要はもういいかな』
って考える人も多いんじゃないかな。」
大切なのは「想い」
結局のところ、法要を何回忌まで行うか、どのような形で供養をするか、ということに決まった正解はありません。
大切なのは、生きている人の故人を想う気持ちだけです。
「恭子、ありがとう。
なんだかスッキリしたよ。
今年は、孫たちとお墓参りに行って、好きだったポピーのお花やお菓子をたくさん供えよう。
それから、思い出のアルバムを眺めながら、1日ビールでも飲んでゆっくりと過ごすことにするよ。」
「うん、それが一番よ。
お父さんの気持ちが、私にはちゃんと伝わってるから。」
恭子はそう言うと、ふわりと消えていった。
17回忌・・・
区切りではあるけれど、供養は生きてる限り終わりではありません。
故人を想う気持ちがある限り、形は自由であって良いのだと、改めて思いました。
シニアになったあなたも、周りを気にせず自分の供養の形を考えてみませんか?





