伊豆大島の記憶~土石流、ラクダ、そして明日葉、台風26号から学ぶこと
Last Updated on 2025年9月8日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます
朝一血圧(122/89/66)、畑薬(93/68/82)。
日本の政治も経済も、落ち着かず日々右往左往している状態が続いているが、私の生活も日々変化の連続だ。
生きているというのは、そういうことなのかもしれない。
目 次

忘却回帰
伊豆大島の記憶:忘れえぬ悲劇と繰り返される選択
2013年10月、伊豆大島を襲った台風26号。
土石流は36人もの尊い命を奪い去り、現在も3名の方の行方は不明のままだ。
あの頃の島は深い悲しみに包まれました。
私は災害の翌年、2014年から災害の爪痕が残る伊豆大島で勤務し、毎年行われる追悼式に参加するたびに、その悲劇を鮮明に思い出します。
悲劇からの復興、そして繰り返される選択
犠牲者を悼むため、翌年から町をあげて追悼式が執り行われ、セレモニー用の公園も整備されました。
しかし、驚くべきことに、命を落とした場所とほとんど変わらない場所に、再び家を建てる遺族たちがいるのです。
災害直後は、まだ見つからない行方不明者を捜すため、島民総出での懸命な海岸沿いの捜索が続きました。
復旧作業中に発見される骨の鑑定も行われましたが、その多くは動物や鳥のものでした。
人間の骨と見分ける術を、誰もが否応なく学ばされていったのです。
台風や大雨の際には、島の体制も一変します。
川沿いの見回り、氾濫しやすい箇所の確認、台風中の警戒や避難所のチェック。
数年間、島全体が極度の緊張状態に置かれ、台風が来るたびに報道陣が押し寄せ、町は大騒ぎとなりました。
「ビャク」の教えと人間の性
伊豆大島には古くから、この種の土砂災害を「ビャク」と呼び恐れる言い伝えがありました。
「山の神様が何十年に一度暴れまわる」という教えです。
それにもかかわらず、危険な場所に家を建てる人々の姿を見ると、
「人間は本当に学ばないものだな」
と苦笑してしまいます。
しかし、これもまた、便利さや土地への愛着を優先する現代人のリアルな姿なのかもしれません。
復旧の影に潜むもの
台風26号の復旧工事は、島の建設企業に数年間にわたる大きな利益をもたらしました。
中には、企業の親族や市役所の議員関係者が絡むケースもあり、悲劇の裏で、政治と利権のドタバタ劇が繰り広げられていたのもまた事実です。
しかし、これも現実です。
復興のためには、地元の企業が動かなければ始まりません。
そこには、複雑な人間の営みが絡み合っているのです。
三原山と戦後のラクダ:島の二つの顔
そんな大島にも、少し笑える昔話があります。
昭和の時代、三原山の麓に広がる黒砂漠では、都会からの観光客がラクダに乗って遊ぶという、ちょっとした観光名所になっていました。(現在はありません。)
災害の恐ろしさと、どこか奇妙でユーモラスな暮らし。
この二つの顔が、伊豆大島の歴史には深く刻まれているのです。
明日葉の香りと日常の小さな幸せ
そして忘れてはいけないのが、島ならではの小さな幸せです。
島で勤務していた当時にできた友人から、自宅に時折明日葉が送られてきました。
鮮やかな緑と黄色い汁、独特の香りを嗅ぐと、島で過ごした御神火温泉の日々や友人との思い出がふと蘇るのです。
悲劇も、笑いも、そして明日葉のような日常の小さな恵みも、伊豆大島の暮らしの一部です。
自然の厳しさを知ると同時に、島の恵みや人とのつながりを大切にすることも、私たちに与えられた教訓なのかもしれない。
過去から学ぶ、未来への選択
自然災害は
「めったにない」
からこそ、私たちはそのリスクを忘れがちです。
しかし、安全よりも日常の便利さや土地の都合を優先するならば、再び同じ悲劇を繰り返すかもしれません。
「ビャク」の教えも、台風の生々しい記憶も、そしてラクダがいたという昔話も、すべては島が私たちに伝えようとしている大切な教訓です。
悲劇も、笑える昔話も、島の歴史には欠かせません。
今日の暮らしやすさを選ぶと同時に、未来のリスクも意識すること。
それが、伊豆大島の歩みが私たちに突きつける、問いかけなのです。
再び訪れる時に、きっと島で勤務していた時の楽しいことを思い出すことでしょう。






