お金で買えないものと、現金でしか味わえないもの
Last Updated on 2025年9月11日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます
朝一血圧(126/90/61)、ジョグ薬(73/58/103)。
人は安全で便利になることを考えつつ、すごいスピードで進化しているが、シニアはすぐには時代の進化についていけない。
目 次

キャッシュレス化
人生、キャッシュレスでは測れない価値がある~
気がつけば、私の買い物リストはAmazonと近くのセキ薬局、イオン、ライフ、コストコ、ビバホーム等のリアル店舗。
日用品から畑の道具まで、スマホで指先ひとつでポチッとお買い物。
支払いはPayPay、クレジット、電子マネー、ポイント…ああ、文明の利器よ、ありがとう。
その結果、どうなったか?
財布を開ければ、千円札1枚と一万円札1枚が、まるで展示品のように鎮座している。
「俺たち、まだ新紙幣だぞ?」
と肩をすくめているようにも見える。
いや、違う。
彼らにはもっと崇高な使命があるのだ。
それは三郷市にある
「矢切の蕎麦屋」
に行くときだけ。
そう、この店は頑なに現金オンリー。
まるで「矢切の渡し」がそうであるように、時代の荒波に逆らい、古き良き文化を護り続ける、生きた化石のような存在店。
おかげで私の財布は、もはや
「矢切蕎麦専用紙幣」
と化した。
まるで専用の御守りだ。
財布だけではない。
気がつけば、私の周りには
「絶滅危惧種リスト」
が静かに囁かれている。
- ネクタイ: かつては男の戦闘服、今や「首の座布団」。着ける機会?ええ、孫の入学式くらいでしょうか。
- 印鑑: オンライン契約、銀行ですらハンコレス。「朱肉どこだ?」は、もう死語。実印、いつ使う?遺言状書くとき?
- 電話ボックス: 矢切の街角にもひっそり。使う人より、物珍しそうに写真を撮る観光客の方が圧倒的に多い。
- 紙の地図: 広げた瞬間に風でバサバサ、Google先生に完敗。あの頃の「道に迷う楽しみ」は、もうない。
- 電話帳: あの分厚い雑誌はどこへやら。昔は「もしもし、〇〇さんのお宅ですか?」から始まったものだが。
- 記憶媒体: フロッピー、ビデオテープ(VHS等)…ああ、我が青春の記録たちよ。今はUSBすら霞む。
文明の進化は、まるで無慈悲な
「生き残りゲーム」
スマホがピッと便利になるたび、古い仲間たちがそっと、静かに退場していく。
若者よ、これが大人になるということだ。
便利さの裏側で、何かを失い続けている。
シニアよ、思い出に浸っている場合ではない、次はあなたの番かもしれないぞ。
でも、矢切の蕎麦屋に行くたび、私は思うのだ。
「消えゆくものにも、計り知れない価値がある」
と。
財布は不要になるか? ~50円の温もりは、キャッシュレスには買えない~
財布は絶滅危惧種ではあるけれど、矢切蕎麦屋に行くときだけは、中身の紙幣が救世主だ、スマホでは絶対に食べれない。
50円のおつりを受け取るときの女将さんとの短い会話、そして手のひらに伝わる硬貨の温もり。
こればかりはキャッシュレス決済の「ピッ」では味わえない、人間らしい交換の儀式だ。
若者よ、スマホの画面に表示される数字だけが「お金」ではない。
そこには、人との触れ合いや、古き良き習慣が宿る瞬間があるのだ。
シニア層よ、頑固に現金にこだわる店がある限り、あなたの財布はただの入れ物ではない。
それは、時代への抵抗であり、ささやかな反逆の象徴なのだ。
だから私は今日も、財布に千円札と一万円札を眠らせておく。
そう、これはもう現金ではなく
「矢切蕎麦専用の必需品」
である。
そして同時に、
「人生はお金だけじゃない、もっと大切なものがある」
という、ささやかなメッセージを込めた、私の「哲学」なのだ。
考えてみると、現金さえあればなんでもできると思っていた時代は、じわじわと終わりを告げている。(実は昔からそうだった・・・気が付かなかった)
そして今、現金が薄れていく時代だからこそ、昔も今も変わらず「お金では買えない大切なもの」が、よりくっきりと浮かび上がってきているのかもしれない。
追伸:高校の同窓会はpaypayではなくやはり現金派だった。





