弱った苗を抜けない理由~私が案件を選ばないわけ~

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Last Updated on 2026年6月11日 by 管理者 Nikifarm

おはようございます。室温24.3℃。朝の血圧(140/85/71)。

今朝、畑でオクラの発芽を見ていてふと考えた。

■ 野菜の育ち方

元気な苗ばかり残していたら畑はどうなるのだろう。

双葉の片方が虫に食われた苗。

風で傾いた苗。

移殖の時に根を傷めた苗。

そんな苗は誰が面倒を見るのだろう。

放っておけばしおれて自然に消えていく。

だが、みると白い根を伸ばし生きようとしていることだけは確かである。

ふと私の仕事である後見人と重なった気がした。

■ 誰も受けたがらない案件

後見の世界には人気のない案件がある。

通称「事故物件」と表現するとんでもない仲間もいる。

  • 人間関係が破綻
  • 財産はない
  • 近隣とのトラブルが多い
  • 家族関係が複雑で非協力的
  • 支援機関とのトラブルも多い
  • 施設入所も難しい
  • まあ手間はかかる

だが本人にしてみれば、

そんな事情は関係ないのだ。

  • 今日も朝が来る
  • ご飯を食べる
  • 病院へ行く
  • やりたいことをやる

生きている以上、

毎日が続いていく。

だから、

案件が難しいからといって、

その人の人生まで止めるわけにはいかないのである。

■ 人生は進むしかない

警察官時代から感じていた。

人は実に様々な事情を抱えている。

数々の各家庭の本音の部分は見てきている。

問題を抱えてないという人は誰一人いないのだ。

  • 順調な人もいる
  • 苦労続きの人もいる
  • 騙されてしまった人もいる
  • 理不尽な出来事に巻き込まれる人もいる

しかし共通していることが一つだけある。

誰の時間も止まらない。

昨日と同じ場所にいたいと思っても、

必ず今日がやって来る。

後見人という仕事は、

本人の代わりに生きることではない。

止まりかけた人生の時計を、

もう一度動かすための油を刺し、ゼンマイを回す仕事なのだ。

■ 助けるのではなく

私は最近、

後見人は「助ける人」ではないと思うようになった。

助けるという言葉は、

どこか上から見下ろしている感じがする。

そうではない。

本人が自分の人生を続けられるよう、

隣で少し支える。

それだけである。

歩けなくなったら杖になる。

道に迷ったら案内板になる。

しかし歩くのは本人だ。

人生の主人公は、

いつも本人なのである。

■ 畑も同じだった

畑をやっていると不思議なことがある。

元気な苗は放っておいても育つ。

ところが、

心配していた小さな苗ほど、

秋になると立派な実をつけることがある。

それを何度も見てきた。

だから私は簡単にあきらめて抜きはしない。

もしかしたら、

もう一度伸びるかもしれないからだ。

人も同じだと思う。

今は苦しくても、

今は動けなくても、

人生の道のりはまだまだ先かもしれない。

■ 気づき

人生は順調な時より、

立ち止まった時に支えが必要になる。

そして本当に大切なのは、

誰かに助けてもらうことではなく、

自分でもう一歩前へ進めることなのかもしれない。

だから私は、

案件を選ぶことはない。

簡単な案件だから受けるわけでもない。

私に立派な使命感があるわけでもない。

弱った苗を簡単に抜いてしまえば、
畑仕事はお終いなる。

だが、それを繰り返しているうちに、
私自身の心まで痩せてしまう気がする。

だから私はもう少し様子を見る。

後見の仕事も、
たぶん同じなのである。

ただ、

人が生きている以上、

人生は毎日一歩づつ進むしかないことを知っているからだ。

38年間の警察人生で見てきたことも、

今の後見活動で感じることも、

結局は同じなのかもしれない。

止まりそうな人生を、

少しだけ前へ動けるように支える。

後見人とは、そんな仕事なのだと感じている。

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