判断能力がある限り、成年後見は使えない――大宮の火葬場で起きた歯科医の実話

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Last Updated on 2025年12月29日 by 管理者 Nikifarm

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諸行無常

正装で現れた友人M

――「昭和の高井戸会議」で聞いた、ある人生の話

その集まりは、
卒業して最初に配置された新任地・高井戸署から始まっている。

右も左も分からない20代の若造だった私たちは、
浜田山駅から徒歩15分ほどの高井戸署の独身寮に放り込まれた。
年齢は近いが出身も、配属理由もばらばら。

私は204号室で山口県出身の柔道をする先輩2人と同部屋だった。
共通していたのは、
「今日をどう乗り切るか」だけだった。

仕事が終われば、8畳3人の狭い部屋に集まり、

先輩から剣菱を買いに行かされ、安い酒を飲み、
手酌で、仕事の失敗や怒られた話を笑いに変え、
また翌朝、早朝稽古を迎える。

その独身寮仲間が、
いつの間にか専門も違う職場で活躍し、何十年も経過してから集まりだした
グループlineでは「昭和の高井戸会議」と呼ばれるようになった。

上野の忘年会、違和感の正体

その「高井戸会議」で、旅行へも何度か行った
今回は上野の「がんこ亭」で忘年会を開催した。

まったく気取らない集まりだ。
もちろんスーツの者はいない、普段着のままで参加だ

年相応になってはいるが、そんなに人相の変化もない、

ところがその日、
友人Mだけが、黒の上下に黒ネクタイだった。

場の空気から、明らかに浮いている。

「忘年会に、そこまで正装しなくてもいいだろう」

と、私も彼が葬儀に参列したんだと分かるが、冗談にそう言うと、
Mは一瞬、言葉を選ぶように黙り、
静かに口を開いた。

「これには、実はわけがあってね」

「大宮の火葬場から来た」

Mは言った。

「今朝早朝一番で、大宮の火葬場で、高校時代のラクビー部の仲間の火葬に立ち会ってきた
と言うのだ。

火葬に立ち会うということは、本当に仲のいい友人だったのだろう。

話を聞くと、

その友人は、高校と大学時代ラグビー部だった、仕事は歯科医師。
仕事が忙しくなってからも、趣味でラグビーを続けていた。

37歳の時、医者仲間のラクビ―リーグの試合中

人数が足りないと言うので急きょ出場しての事故で、頸椎を骨折

それ以来、
意識ははっきりしているが、首から下が完全に動かない状態。

試合仲間が医者だったので、試合中に命だけは助かったそうだ。
意思もはっきりしていた。
だが、それからの人生は一変したそうだ。

三十年以上の時間

それから三十年以上、病床で寝たきりだ。

それまでに歯科医として築いた収入はその当時ですでに数億円を超えており、相当なものだったという。
だが、身体が動かないため、財産管理は法人に任せきりになった。

家族は
妻とは離婚したばかり、子供はいない。

その後も両親は他界、弟はアメリで生活しており縁はすでにない。

次第に生活状況は崩れていったようだ。
それからは
考えることも、感じることもできる。
ただ体だけが動かない生活が続いたのだ。
気がつけば、頼れる親族はいなかった。
意思や判断能力は十分にあるし、話も理解できる。
だが、
お金の流れや契約の中身を実際自分で確かめることはできない。

その「不安定な状態」が、何十年も続いた。

やがて分かったときには、
騙されて資産は大きく減り、
破産していたという。

なぜ、誰も止められなかったのか

話を聞きながら、
私の頭には、ずっと同じ疑問が浮かんでいた。

なぜ、誰かが早く手を打てなかったのか
なぜ、成年後見をつけられなかったのか

だが、制度の現実は冷たい。

判断能力がしっかりしている限り、法定の成年後見はつけられない。

身体が動かないことは、要件ではない。
気の毒かどうかも関係ない。

意思があり、理解ができる。
それだけで、
後見制度の介入を拒む。

制度の「空白地帯」

この友人は、
まさに制度の空白地帯に置かれていた。

  • 判断能力はある
  • しかし身体は動かない
  • 家族の支援はない
  • 財産管理は他人任せ

本来なら、

任意後見契約や財産管理等委任契約

を早い段階で結ぶべき人だった。

だが、
それを説明したり、契約まで導く人はいなかったようだ。

制度はあった。
だが、使われなかった。

正装の理由

Mは言った。

「家族じゃなかったけど、あいつを見送るなら、せめて、きちんとした格好でと思ってね」

火葬に立ち会ったのは、
高校時代のラグビー仲間達で、その一人が連絡してくれたからだ。

黒いネクタイは、
弔意であると同時に、
後悔の色にも見えた。

そして、私の立ち位置

この話を聞きながら、私は強く思った。

これは、不運な一例ではない。
誰にでも起こりうる人の現実世界だ。

判断能力があるうちにこそ、
備えが必要な人ほど、
制度からこぼれ落ちる。

私は、
成年後見や財産管理に関わる立場にいる。
だからこそ、
この話を「気の毒」で終わらせたくない。

判断能力がある限り、人は守られない。
だからこそ、早く備える人を、
早く見つけなければならない。

12月27日に、大宮の火葬場で終わった一人のシニアの人生は、
もう戻らない。

だが、
次の誰かは、救えるかもしれない。

そう思いながら、
私は今日もこの話をブログに書いて教訓にしようと思う。

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