日本人はなぜ「死に目」にそんなにこだわるのか
Last Updated on 2026年3月7日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます、室温16.8℃。
目 次
日本社会はまだ「死に目信仰」から抜けられない
日本には、
宗教法人ではないが、
なぜか全国民が信者になっている宗教がある。
死に目教
である。

誰かが亡くなると、
まず来る質問はこれだ。
「死に目には会えたの?」
必ず聞かれる。
――いや、ちょっと待て。
それ、何点満点中の何点なのだ。
91歳の母と、覚悟の話
私の母は91歳。
今は施設にお世話になりながら、
ちゃんと生きている。
ただ年齢が年齢なので、
いつ心臓が止まっても不思議ではない。
これはもう、
家族全員、織り込み済みだ。
死に目は、予定通りには来ない
母は北海道にいる。
何かあっても、
どんなに急いでも埼玉県に住む私は半日はかかる。
人は、
こちらの都合に合わせて
きれいに死んではくれない。
ドラえもんはいない。
「どこでもドア」もない。

それでも聞かれる「後悔しない?」
それでも、聞かれる。
「後悔しない?」
しない。
それより不思議なのは、
生きている間に何回会ったかを
誰も聞かないことだ。
なぜか、
- 最後の5分 → 超重要
- それまでの91年 → まあまあ
という扱いになっている。
私は「死に目」は考えていない
私は、
死に目に会えるかどうかを
人生の計画表には入れていない。
その代わり、
これだけは決めている。
生きている限り、毎年数回は会いに行く。
こちらのほうが重要だ。
親孝行が〇✕テストだったら楽だけど
死に目に会えたかどうかで
親孝行が決まるなら、話は簡単だ。
- 会えた → 親孝行
- 会えなかった → 反省文と後悔
そんな人生、
誰が作ったルールだろう。
社会はまだ「死に目信仰」から抜けられない
どうやらこの社会は、戦後に出来上がったようだ。
令和になっても「死に目信仰」から
抜けられないらしい。

だが、家制度が崩壊し、核家族化が進んでから
少しは変化している。
私は17年前に妻が亡くなった時からすでに脱会している。
その代わり、
今日もできるだけ生きている人に会いに行き
一緒に酒を飲んで楽しむことにした。
最後にひとこと
死んでから慌てるより、
生きているうちに顔を見よう。
その方が、
よほど縁起がいいし、私自身そうしてもらいたい。


