実家の土地、誰も要らない時代になっていた
Last Updated on 2026年5月20日 by 管理者 Nikifarm
おはようございます。室温25.8℃、朝の血圧(129/100/66)。
最近、
行政書士をしていると、
時々聞かれる。
「先生、“相続財産清算人”って何ですか?」
名前だけ聞くと、
なんだか格好いい。
しかし実態は――
全国の“誰も引き取らない不動産”の、
最後の片付け係みたいな仕事である。
目 次
■ ある日突然、選ばれる
家庭裁判所から連絡が来る。
「先生、この空き家お願いします」
そこで選ばれるのは、
- 弁護士
- 司法書士
などの専門家が多い。
たまには「死後事務委任契約」で行政書士も引き受ける。
つまり、
「この空き家、お願いします」
と突然バトンが回ってくる。
まるで、
不動産版ババ抜きである。

■ 現場へ行く
すると――
築60年。
草2メートル。
屋根が少し斜め。
隣の家は、
もはや森に飲まれて見えない。
玄関には、
昭和のタヌキの置物。
さらに、
木彫りのヒグマがシャケをくわえている。
よくみたら、本物の熊だった。
なぜ全国の田舎には、
あの熊が出没しているのだろう。
近所の人が静かに言う。
「夜になると、
家がミシッ…って鳴るんですよ」
熊がいるのか、
もう、軽い恐怖映画である。
■ しかし売れない
清算人は頑張る。
不動産屋へ行く。
「どうでしょう?」
すると不動産屋さんが、
遠い目をする。
「うーん…」
「正直…」
「タダでも厳しいかもです…」
しばらく沈黙が続いた。
窓の外で、カラスが一羽、鳴いた。
この瞬間、
全国の空き家問題が凝縮される。
考えてみたら、
家は人が住んでいるから家なのであって、
誰も住まない家は、
巨大な物置である。
しかも固定資産税つき。

■ 昔は“財産”だった
昭和の時代。
広い土地がある。
広い庭の家がある。
それだけで勝ち組だった。
しかし令和。
場所によっては、
- 固定資産税
- 草刈り
- シロアリとハチの巣
- 倒壊リスク
- 近隣クレーム
まるで、
不動産というより
“維持型サブスク負動産”である。
しかも解約が難しい。
■ 福井県に住む友人からのメール
ここで、
福井県に住む大学時代の友人T君から、
こんなメールが来た。
「私の知り合いも、
誰も住まなくなった実家を壊して整地するのに、
500万円かかると言われたそうです。
ところが、
土地付きで200万円で売れたと、
逆に喜んでいました。
先祖代々の土地なのに…。
難しいですね。」
これ、
今の時代を象徴している気がした。
昔なら、
“家を売る”
ことは敗北感があった。
しかし今は、
“処分できた”
こと自体が、
救いになる場合がある。
価値観が、
静かに逆転している。

■ そして誰も継がない
子どもに聞く。
「この家どうする?」
すると大体こうなる。
「え…」
「遠いし…」
「仕事あるし…」
「管理ムリ…」
「あ、でも、売れたらお金でちょうだい。」
すると親世代は少し寂しそうに言う。
「退職したら、いつかお前は帰ってくると思ってた」
そう言う父の頭の中では、
たぶん「川の流れのように」が流れている。
しかし現実の人々は、
- 住宅ローン
- 通勤時間
- 病院・学校
- Wi-Fi速度
- スーパー
で決めている。
すると
つまり人生のインフラ全部が、
関東圏か大都市近辺なのである。
■ 最大の犯人
本当の犯人は、
- 空き家ではない
- 土地でもない
- 固定資産税でもない
最大の犯人は――自分自身の
「そのうち考えよう」
である。
これが代々30年、40年、50年寝かされる。
すると問題は、
熟成される。
もはや味噌どころではない。
文化財である。
ならば、市町村に寄付しようとしたら、
言う前に首を横に振られた。

■ だから最後はこれ
物は、
価値だけでは残らない。
“管理する人”がいて、
初めて残る。
- 土地も
- 家も
- 勲章も
そして最後に残るのは、
たいてい段ボール数箱と、
大量の「これ、どうする?」である。
そんな現場を見ていると、
最近つくづく思う。
人間、
買ったまま、
勝ったまま終わってはいけない。
誰が買ったのか知らないが、
せめて責任だけは取ってから
天国へ行ってもらいたい。
昔は、
「土地を残す」
ことが愛情だった。
しかし令和は、
少し違うのかもしれない。
- 売る
- 片付ける
- 子どもと話す
- 遺言を書く
- 処分を決める
そうやって、
“困らない形にしておく”
こと自体が、
今の時代の愛情なのかもしれない。
完全解決でなくてもいい。
今、生きている所有者が、
少しでも前へ進めること。
それだけで、
子孫はかなり助かるのである。
■ だから最後はこれ
物は、価値だけでは残らない。
「管理する人」がいて、初めて残る。
畑をやっていると、それがよく分かる。
草は、放っておくと勝手に増える。
自然は、人間の思い出に一切遠慮しない。
- 土地も
- 家も
- 勲章も
同じである。
そして最後に残るのは、たいてい段ボール数箱と、
大量の「これ、どうする?」である。

■ 最後に
- 売る
- 片付ける
- 子どもと話す
- 遺言を書く
- 処分を決める
完全解決でなくていい。
今、生きている持ち主が、少しでも前へ進めること。
それだけで、子孫はかなり助かる。
残された人に、
「思い出」を残し、 「負担」を残さぬように。

それが、人生の終盤に必要な、 シニアの最後の責任なのかもしれない。


